知らなければ良かった

確信犯という言葉がある。
恐らく法律用語なのだろうが、「確信犯的な」みたいな使い方ですっかり市民権を得ている。
市民権レベルで言うと「放置プレイ」以上だ。


さて市民権を得た「確信犯」であるが、実は一般的な使われ方は間違っているという話が今回のテーマである。
一般的には、悪いと分かっていたが、それを承知で物事を実行する事を言うと思う。
しかし正しくは、本当は誤っている、法律に反しているのに、その物事を実行することが正義と信じて実行する奴のことだという。
市民権を得たはいいけど、外人さんなので発音が難しくて、みんな正しく発音できないってわけだ。
サッカー日本代表監督、イビチャ・オシム氏だが、日本在住時の家の表札には「イビツァ オシム」と書いてあったそうである。
しかしあれだけイビチャって聞かされたらもうなんか正しい発音の方に違和感を感じてしまう。
しかもこの例に倣うとクロアチア代表の10番はクラニツァールということになるし、嘗てACミランで活躍したのはサビツェヴィッチということになる。
しかもサビツェヴィッチと実際に言おうとすると、山瀬まみのモノマネをしてみたが、似ていない、といった感じになってしまい、なんだか不愉快ですらある。


話を戻そう今の話はさしずめ宇都宮に行くつもりが、高崎に着いてしまったという感じである。
つまり大宮かどっかで乗る電車を間違えたのだ。
そうすると高崎から宇都宮に行くには両毛線とかなんかそんな感じの電車に乗るのが最短距離なのだが、その辺の電車は本数が少ない上に、駅と駅の間は信じられないくらい離れており、信じられないくらい長い間止まっていたりするので、岩舟駅に着いたのは気がつけば23時とかそれぐらいになってしまうのである。


実際には一度大宮に戻ってから改めて宇都宮を目指す方が早かったりする。
つまり悪いと分かってて実行したというような事象に触れた時、ほとんど無意識的に「確信犯的だな」と、思ってしまうのだが、しかしそれは本来的な意味としては誤っていて、しかも自分はそれが誤っているのを知っているので、「違う、俺が言っているのは一般的な意味の方であって、本来の意味の方ではない」と、自分自身に対してエクスキューズを用意せんければならず、非常にめんどい。
そもそも本来の意味で使われるシーンに遭遇した場合、果たして自分はどんな言葉を想起するだろうか。
恐らく「これが本来の意味での確信犯だ」などとは思わず、「ソーキそばと沖縄そばは何が違うのだろうか」、と思うに違いない。
そもそも今回のエントリーがあっちこっちへ話題がとぶのはこれ、言わば確信犯的な行為で、しかしここで言う確信犯的は本来の意味ではなく、あくまで一般的な意味での用法であり、本来的な意味での・・・(以下繰り返しのため、フェイドアウト)