さらばアベフトシ

中学3年の時ギターを買った。
訳も分らず友人に勧められたフェンダージャパンの黒いテレキャスターだった。
解散後のユニコーンを好きになってギターを始めた自分だが、速弾きは馴染まなかった。
高校に入ったか入らないかくらいの時、ザミッシェルガンエレファントというバンドのライブ映像をテレビで見る機会を得た。
NHKにしては珍しくインタビューも全く無いひたすらに演奏を映す番組だった。
ギタリストは僕と同じギターを使っていたが、僕はあんなこするようなギターの弾き方を初めて見た。
後に気付いたのはあれがフェンダーテレキャスターの正しい弾き方だと言うことだ。
CDとバンドスコアを買ったのはすぐだった。
初期ミッシェルでアベの持ち味であるバリエーション豊かなカッティングが存分に発揮されている曲「sweet MONACO」、「シャンデリア」を練習した。
いずれもアルバム「HIGH TIME」に収録されている両曲は、アベ本人の語る「全編ソロのつもりで弾いている」という発言を裏付けるものだ。
この2曲に限らず、ミッシェルをコピーすることで3本指グリップを使った高速カッティングとペンタトニックスケールを使ったアドリブプレイを身に着けた。
初めて見に行ったライブはミッシェルで、当たり前だけど右側で見た。
アベのプレイを間近、では見れなかったけど、少しでも近くで見たかった。
生のアベはTVと同じように大股開きでどっしりと構えていて、そしてでかかった。
ライブ後は2日間耳鳴りが止まなかった。
右耳は治るのに3日かかった。
大文字になり完全にパンクになったミッシェルとは距離をとったが解散ライブには行った。
今まで喋っているのを聞いた事が無かったアベがたった一言「ありがとう」と言った。
僕は泣かなかった
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは解散した。
数か月後レコード屋でラストライブのDVDが売り出された。
偶然にもアベの「ありがとう」が映し出され、僕は涙が止まらなかった。
DVDを買った。
江戸川橋でギターを持ったでかい人が向こうから歩いて来た。
アベだった。
僕は擦れ違っても見えなくなるまでアベの後ろ姿を見つめ続けた。
アベが死んだ。
でも僕は彼と同じギターを使っている。
アベは死んだ。
でも僕はthee michelle gun elephantの曲はいつでも弾ける。
アベは死んだ。
でも僕は自分の曲にカッティングやペンタトニックスケールを使っている。
アベは死んだ。
でも僕達は彼のプレイを骨肉としてギターを弾いている。
アベは死んだけど彼は間違いなく僕達の中に生きているんだ。
僕はこの黒いテレキャスターを絶対に手放さない。