例えば僕が死んだら

今日はこの場を借りて、皆さんにお伝えしなければならない事があります。
このダイアリーの主であり、私の夫はこの世を去りました。
溺死でした。
なんでも誤って神田川に落ちてしまったと聞いています。
しかし私はなんとなくですが、それは真実ではないような気がしてなりません。
夫はきっと、自ら欄干を乗り越えて、神田川へ飛び込んだのでは無いのだろうかと。
皆さんはご存じか分かりませんが、神田川は(恐らく一部の区間でしょうが)ヘドロが凄くて、一度落ちたら自力では這い上がれないそうです。
ましてや夫は泥酔していた事でしょうから、死ぬのも当然というものです。
最近の夫は酔って帰って来ては噛み砕いたドンタコスを口移しで私に食べさせようとするような乱れようで、しかも翌朝になれば、彼の頭からその記憶は消え去り、代わりに二日酔いの頭痛がその場所に収まるばかりなのです。
なのでこの度の事はある種、必然だったと感じています。


生前夫がどのような交遊関係を持っていたか・・・夫の死をお知らせするのにこの問題は幸いにして、難問ではありませんでした。
夫は欄干を乗り越えたその時、携帯電話を鞄の中に入れており、そして彼は鞄を道連れにする事をよしとしなかったからです。
しかしここで気掛かりだったのは、それ以外の話です。
夫は生前「また一人俺の敬愛するブロガーがいなくなった」などと言っており、詳しく聞くと、そのウェブサービスを退会したため、過去の文章も一切合切見られなくなってしまったという事でした。
それを聞いても私には今一つピンと来ませんでしたが、今ならなんとなくわかるような気がします。
ウェブサービスを退会し、過去の文章が全て見られなくなる、これは残された人にとってはほとんどその人の死と同様です。
むしろ退会した本人はその事によってより自発的な生を生きているかもしれません。
しかし夫のようなケースはどうでしょう。
日川村カオリさんが亡くなりましたが、彼女のブログはそのまま残してあり、コメントが相次いでいるという話がニュースになっていました。
言うなれば彼女はネットの世界では生き(永らえ)ている。
しかし夫は彼女のような存在ではありません。
このダイアリーの更新が止まったところで、誰が気に止めるでしょう。
せいぜい最近忙しいのかなくらいに思われればいいほうです。
するとこの現象は死とすら呼べない、単なる忘却あるいは消滅です。
このような事は本来ならば殊更に喧伝すべき事でも無いでしょうし、私一人の中で彼の死を生かしておけば、済む話とは分かってはいるのですが、書かずにはおられなかった事をお許しください。


最後に、完全に蛇足ではありますが、これはサブタイトルにもありますように、「例えば」の話です。
皆様におかれましてはくれぐれも早合点なさいませぬよう。