蓮沼執太フィル@スパイラルホール

蓮沼執太の事は前から気にはなっていたがなかなか食指が伸びなかった。
今回ようやくフィルの音源を聴く機会を得たが、ミニマルで多幸感溢れる素晴らしい内容だった。
折良く公演があったので、4/26土曜に見に行った。
青山通り沿いのスパイラルというビルの3Fにホールがあり、そこに演台と客席が置かれていた。
この日は対面型、つまり演者と客が向かい合う一般的なレイアウトで、翌日の日曜日は全方位型、中央に演者がいて、その周りを客が取り囲むというスタイルで行われている。


さてまず音響の話をしなければならない。
音響はマイキングオフ気味なのかなんなのか、スピーカー7生音3くらいのバランスだったろうか。
なので、ステージの距離はそれほど遠くないのに、音が遠く感じた。
まぁこれは仕方ない。
フィルっつってホールでやるんだからこうなるわな。
あと席もオールシッティング。
これまた当然と言えば当然。
どちらもなんとなく予想していた事だが自分を合わせられなかった。
6拍子と5拍子のポリリズムが貫かれる『ZERO CONCERTO』とか
踊りたくてしょうがないんだけど、立ち上がる事すら許されない。
これに加えて時折眠くてしょうがなくなるという苦しいものであった。
ちなみに眠くてしょうがないのは演奏のせいではなく、単純に寝不足のせい。


次にドラムの話。
CDを聴いた後、クレジットを見たら、総勢15名のメンバーの中にドラムが2人いた。
しかもitokenとJimancaのd.v.dコンビ。
でもそんなにツインドラム感じるとこ無かったなー、と思いながらも聴き返してみると確かにツインだが、これ別に1人でも良くね。
実際1曲目の『ONE MAN』とか1人だし。
でその曲はライブではどうしていたかというとitokenが丸々休んでいた。
というかitokenの姿は蓮沼のグランドピアノに隠れて、頭しか見えなかったので多分休んでいたんだと思う。
この曲は4ビートなんだけど、終盤8ビートになって、ベースも動きまくる展開になって凄いアガるんだけど、それでもitokenは動かない。
来い!来いよitoken!蓮沼なんか関係あるか!入って来いよ!って願ったけど、入って来るわけもなくw


合わなかった点を先に挙げたけど、演奏自体は素晴らしかった。
特に大編成モノは生で見ると誰がどこでどんな音を出しているのかがわかりやすいので、後で音源を聴き直してもその情報が付加された形で聞こえてくる。
それに数日経った今でも気付くと鼻歌を鼻ずさんでいるくらいだ。
蓮沼氏の過去作を聴かなければならない。

goat@六本木SUPER DELUXE

毎度お馴染み、会社の先輩(且つ今は上司)に誘われライブへ。
約一年前にも同じ六本木SUPER DELUXEに空間現代というバンドのレコ発を見に行った。
今回のgoatというバンドはその空間現代と同じく、HEADZからリリースを行い、これはそのレコ発のようだ。
リリース自体は半年近く前なのになぜ今なのかは謎だが、まあそんな事はどうでもいい。
いずれにしてもHEADZを主宰する佐々木敦の手の者という事だ。
対バンには空間現代、そしてにせんねんもんだいがブッキングされている。
この時点で息つく暇もないミニマル祭りの開催が確定している。


そんでまあ、予想通りミニマル祭りが執り行われた。
詳細を書き記すのもバカバカしいくらいとにかく反復に次ぐ反復、の連続だった。
帰り道、先輩と、何故彼らはああいう音楽をやるに至ったのか、その経緯がわからない、という点で意見が一致した。
しかもこの手の万人受けしないような、この場合は同じ事の繰り返しをひたすらやる、という方向性を指し示した首謀者が必ずバンド内にいるはずで、他のメンバーはそれに同意して、辛く退屈な練習をこなし、ステージに立っているのである。
よくついて来たなと。
どう考えても辛く退屈だよ、この人達の練習は。
そのモチベーションが計り知れない。
更に言えばそんな音楽をわざわざフックアップする佐々木敦
そんな東京アンダーグラウンドシーン(?)に眩暈をおぼえつつ、0時半まで飲んだ。

職人修行してました

もうすぐ4歳になる娘のパンツを毎晩脱がせてはオムツを履かせるのがここ最近の日課であった。
タイミング的にはぼちぼちオムツを卒業する時期だが、夜パンツを履いて寝ると高い確率でおねしょをしてしまう。
しかし本人のたっての希望で結局毎晩パンツで寝る。
そこで行っていた対策が寝入ってからオムツに履きかえさせるというものだ。
つまり俺がパジャマのズボンとパンツを脱がし、オムツとズボンを改めて履かせるの。
この作業を何回かしている内に想起されたのはパンツ職人、田中の事だった。


細かい説明は省くが、行け!稲中卓球部の登場人物、田中は他人のパンツを脱がせる事において他の追随を許さない、まさに求道者である。
奇しくも私も田中と同じ道を歩んでいたのだ。
幸いというかなんというか、修行を開始してからしばらくした頃、オムツに履きかえさせた直後の娘が起き出して泣き叫ぶなどしたため、あゝ普通に考えれば寝ている間にパンツを脱がされるなんて嫌に決まってるよな、という事に思い至り、現在の所はおねしょのリスクを受け入れている。
これで私のパンツ職人への道は事実上閉ざされた。

道の名前が出てくる曲

車に乗るようになってからあちらこちら行ってるのだが、やはり環七こと東京都道318号環状七号線を走る時は興奮してくるというものだ。
自然とギターウルフの『環七フィーバー』が脳内に流れてくる。
環七だけじゃもったいないのかなんなのか環八こと東京都道311号環状八号線に乗る時も流れてくるからもうフィーバー、フィーバー。

とか思ってたらこないだ山手通りこと東京都道317号環状六号線を走る機会があって、そうするとやっぱりあの曲が流れてくるわけじゃない。
椎名林檎罪と罰』が。
ほーをさーすーあさのやまてどーるりーっつって。
昼だったけど。

なんて事を思ってたらこないだ母ちゃんがうちに来た時、中央フリーウェイが近くにあるのねかなんか言って、何の断りも無く中央自動車道の事を中央フリーウェイとか言ったりして少々イラっとしたものの、そう言えば中ブ連というものがあったなと思い出して、ニヤついたりしている。

かぜの科学―もっとも身近な病の生態

イギリスのサイエンスライターが書いた非学術書
子供を育てる親としてにわかには受け入れ難いのが寒さとかぜのひきやすさには相関関係が無いという研究結果の紹介。
研究者達がとにかく色々な実験をした結果、かぜ(特に鼻かぜ)をひく最も強力な経路はウイルス保持者との接触、または無機物に付着したウイルスが手に付き、それが鼻か目を通じて体内に侵入する事だった。
しかしよく語られる寒さ、免疫力、疲れ等はかぜのひきやすさとは関係が認められなかったという。
かぜのウイルスには膨大な種類があり、それを防ぐには一つ一つ抗体を作らなければならない。
つまりかぜをひけばひく程、かぜにひきにくくなる。
だから子供が大人よりかぜをひきやすいのは、大人よりもかぜにかかった回数が少ないからという身も蓋もない結論!

使用済み核燃料の処理について見過ごせないブコメがあったので、idコールしたら意外と丁寧なリアクションがあったので、こちらも丁寧に対応する事にした。

ダイアリーに原発関連の事を書くのは多分初めてだな。


小泉氏の脱原発発言が福井に波紋 「核のごみ」議論深まる可能性


僕が原発の運用に懸念を抱く最大の点の一つに使用済み核燃料の処理の問題がある。
別にそんな事は小泉氏が言い出す前から分かっていた事だし、フィンランドドキュメンタリー映画『10万年後の安全』は日本でも公開されている(観てないけど)。
最近では使用済み核燃料処理は脱原発派が言う程困難な事では無いみたいなブログも上がってたりして、そう言う事は本当に無害化されてからじゃないと言い切れないだろうがクソが、と思っていた。
で、該当記事のブコメの中にid:che-hiroshi氏が

福井のメディアでようやくこういう議論がまともに出てくるようになったのかな? いずれにしても核ごみは地産地消の観点からも、福井県で預かってもらうほかあるまい。

と書いていて、これにはいささかとさかに来たわけですよ。
言うに事欠いて地産地消と来たかと。
なので同一ブックマークページ上で

使用済み核燃料の地産地消ってそんなにコンセンサスのとれた考え方なんだっけ?

idコール込みで異論を挟んだ所、

もちろん、国民的コンセンサスはありません。しかし、放射性廃棄物はどこかに格納しなければなりませんよね? ジシツ半永久的に原発敷地内に処分し続けないといけないのではないと思います 。

仰る事はわかるが、それを称して地産地消というのは虫が良すぎるでしょう。
河野太郎は寧ろ電力消費地が廃棄物を受け入れるのが筋だとブログに書いている。
勿論実現可能性という点では電力消費地廃棄物処理を受け入れるというのはほとんどありえない話だとは思うし、個人的観点からもそんなどうなるかわかったもんじゃない代物が足元に眠ってますなんてこっちが眠れなくなるわって。
そこは河野太郎もあくまで筋論として書いている事であろう。
とはいえ一足飛びに廃棄物の処理を地方に押し付けるというのもいくらなんでもあんまりだ。
恐らく今後廃棄物処理立地に対する交付金、みたいな新たな枠組みが登場するのは想像にかたくない。
そうすると開沼博原発誘致に関して論じたような積極的な立地誘致が起こらないとは言い切れない。
既に原発無くしてはやっていかれない構造になってしまっている自治体がそれに立候補してもなんら不思議ではない。
結果的にche-hiroshi氏が言う地産地消が実現する可能性は高いような気がする。
しかしそこには地産地消という言葉が本来持つ、中央を頼る事無く地方の経済を回すという美点は損なわれており、徹頭徹尾中央と地方との従属関係が映し出されるばかりだ。
僕のような首都圏育ちの人間にとってはこういった言説は甘い果実だか、口が裂けてもその事を指して地産地消とは言えない。
更に言うとidコールのために無関係な記事にブコメを残すのはいかがなものか。
その点を考え直していただき、平均年齢弱冠20歳のガールズバンド、赤い公園のCDを一枚でも買っていただけると非常に嬉しい。


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